ロータリー47士!
garage nakamuraです。
NHKで以前放映されていたプロジェクトXと言う番組で取り上げられていたのでご覧になった方も居らっしゃると思いますし、
私も見ましたが、今でもYOUTUBEで見る事が出来るんですね。
開発責任者の 山本健一さん の元に集まった若きエンジニア達47名
赤穂浪士にちなんで ロータリー47士 と呼んだそうです。
当時はマツダ自動車では無くて、東洋工業と言う3輪自動車メーカーだったんですね。
私の小さい時にはたまに見かけることが有った車です。<可也古い話です。^^;
当時広島には原爆が投下され14万人と言う尊い人命が犠牲になりました。
比治山と言う山が壁になりその東洋工業は原爆の被害を免れましたが、一面焼け野原になったその故郷を何としてでも復興させなければ!
と皆が一致団結していた地域でも有ったようです。
当時としては小さな弱小自動車メーカーだった東洋工業は合併の危機に迫られていて西の松田、と言われた頑固者で有名な松田社長が
西ドイツで発明されたロータリーエンジンの製作権利を購入してこのロータリーエンジンを実用化して何とか会社を広島を復興させようと努力されました。
開発責任者の山本健一さんは戦争当時、学徒動員として茨城県に来ていたそうです。
原爆が投下されて終戦と成り故郷に帰って東洋工業の社員となって後にロータリーエンジンの開発責任者としてロータリー47士のリーダーと成って大変な苦労をされるわけですね...
私のつたない文章で説明するよりもYOUTUBEを見て頂いた方が全然理解は速いと思うのですが、私はこれを見る度に感動します!
200年も前に発明されてどこの国でも実用品に出来なかったロータリーエンジン。
この夢のエンジンと言われたロータリーエンジンを山本さんをリーダーとする47士の皆さんが(実際には会社なんでしょうが)世界で唯一”物”にしたんですね。
仕事をするのは自分の為、家族の為、当然ですね。
ご飯を食べなきゃならないし、食べさせなければ、養わなければならない。
でも、ロータリーエンジンを実用化させるために頑張った人達はそれだけで頑張れたのではなかったようです。
戦争に負け、とても大きな被害を受けた地域の皆さんへの応援する気持ち、自身の地元への愛が結果に繋がったようです。
これって今の日本にも言える事ではないでしょうか?
先日の大震災でとても沢山の尊い人命と大きな被害を受けた被災地。
どんなボランティアが出来るか?寄付をいくら出来るか?も勿論大切な事だとは思うのですが、
自分の為、家族の為だけに働くのでは無くて、人の為、被災された人達の為に働くと言う意識をどれだけ持てるか?
と言う事では無いかなと感じています。
綺麗事と言われればそれまでですが、結局はそれが自分自身の身に帰ってくる事に繋がるのではと感じています。
それでは、この辺で...