お別れをして来ました。
こんばんわ。
garage nakamuraです。
実は、昨日、女房の父親、義父の葬式でした。お別れをして来ました。
8月から入院になって、9月7日に病状が安定したと言う事で、一時退院になっていたのですが、
体の具合は余り芳しいものでは有りませんでした。
18日の早朝に兄から電話で、脈が取れない位に弱っているから直ぐに来てくれ!と電話が入り、
取るものも取り合えず、直ぐに出向きました。
ただ、着いた時にはすでに息を引き取った後でした...
家の人が気が付いた時には、もうすでに息は無かったようです。
電話でその事を伝えて、余り動揺してしまっても車で実家に向かう際に事故でも起こしてしまったら大変と言う事で、
脈が取れないと言い回しを変えて連絡してくれたものだったそうです。
18日に亡くなって、20日が通夜で昨日21日が本葬という運びになりました。
患っていた病名は、感質性肺炎 というもので、回復させることは中々難しい病気と言うのは聞いていましたから、
それなりに覚悟は決めていたつもりですが、いざ、その時になるとそう簡単には気持ちの切り替えが出来るものでは有りませんね?
余り先は長くないかもしれないと言う事で、女房には毎日行って上げたら良いだろうと言っていました。
入院中の5週間は、私もほぼ毎日見舞いに顔を出していましたが自宅に帰って来てからは、2,3日に1度の割合くらいでした。
女房の実家までは、家から車で20分位の距離なのですが、こう言う時は、近くに住んでいると、有り難いな と感じますね。
無事に本葬まで終えて感じたことは、親父に逢いに来てくれた人の多くが 涙 を流してくれたことでした。
生前に色々とお世話になって、とても感謝しています。
と口々に言って頂けた事は、本人は勿論、残された家族にとってもとても嬉しいですし、有りがたいですね。
私が感じていた以上に 思いやりの有る優しい人 だったようで、そんな親父を誇りに思います。
思い返せば、
私が、娘さんと結婚させて下さい!と挨拶に上がった際に、お金は無いですが幸せにします。と、
話す私に 「お金は無くても良いんだ、たとえ茶碗1杯のご飯しか無くても、それを二人で半分ずつ食べられる、
そんな夫婦になって貰いたい」と言われたことを今でもはっきりと覚えています。
親孝行や恩返しと言える様なことは、何も出来ずに過ごしてしまいましたが、
そのような私にも、逢うたび、顔を合わせるたびに、いつもニコニコした、優しい笑顔で接してくれました。
生きている以上、避けては通れないことなのでしょうが、やはり一抹の寂しさが有りますね。
親父に怒られないように、しっかりと生きていかなくては!とお別れの際に心の中で囁きました...
それでは、この辺で...
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